センシティブな話
      2014 / 11 / 19 ( Wed )

      郵便ポストに、見覚えのある犬の笑顔が見えました。

      手に取ると、ポストカード。

      今夏、治療の甲斐なく、短い生涯を全うした子の預かりさんからでした。

      「ご支援ありがとうございました」と書かれてありました。



      たった1度、思いついてほんの僅かなフードを送っただけの私にも、

      預かりさんがご丁寧にお送りくださったのです。


      屈託のない、とびっきりの笑顔が目に飛び込んできました。




      たくさんの支援者、ファンに恵まれた子でしたが、

      私がこの子を幸せだと思えるのは、

      この情深い預かりさんのお宅で、ご家族から愛情を注がれて暮らせたこと、

      その点に尽きます。



      確かに彼は「保護犬」のまま、生涯を終えました。

      でも、彼にとっては so what?  なのではないかなぁ。


      この子は、預かりさんのお宅を「ボクの家(うち)」と決めていた、

      勝手ながら私には、そう思えてなりません。


      もし、もし命が助かったなら、保護団体さんにこの子のための基金を

      広く募っていただき、生涯預かりさんのお宅で暮らさせてあげられないものか・・・。

      部外者ゆえの、無責任きわまりない願望だとわかりつつ、

      そう願わずにいられませんでした。




      一つ白状しなければなりません。


      私は、この子の症状があまりに愛犬-急性膵炎で逝かせてしまった
      愛犬の症状に酷似していると感じ、病院に詰めていらしたであろう
      預かりさんに病状伺いのメッセージを送りました。

      数回のやりとりの末、私は沈痛な思いでこう書き送りました。


      自分を含め、愛犬を急性膵炎で亡くした飼い主の中には、
      もっと早いタイミングで苦痛から解放してあげるべきだったと
      後悔している人が多いこともまた事実です、と。



      婉曲ではありましたが、恐怖と不安におののく預かりさんに
      私はこう迫ったも同然でした。

      There is no other way but to put him to sleep.



      愛情をかけてきた犬の「予期せぬ死」に対峙させられる
      どん底の恐怖とは本当のところどんなものか、
      おそらく実際に体験した者でなければわかり得ないと
      私は思います。

      その恐怖のまさにただ中にある方に向かって、
      「苦痛から解放してあげる」選択を暗に示唆したわけです。

      自分が反対の立場だったら、どう思うだろう。


      一度も面識のない、その子に対し何ら責任を負っていない相手に
      最もセンシティブなことを示唆されて、「はいそうですね」と
      受け入れられる人など、いるはずがないのです。
      私自身を含め・・・。



      それをわかっていながら、やっぱり伝えずにはいられませんでした。

      苦しんで逝かせてしまった、愛犬と同じ目には遭わせたくなかった。

      最愛の犬の死、体験が誰かの逃れようのない苦痛を短くするために
      役立ててもらえたら・・・その一念だったように思います。

      それを、エゴだと言われても反論はできませんけれど。



      家族として、わずかな回復の望みにかける気持ちは理解できます。

      経験豊富な獣医師といえども、神様でない以上、
      動物の生き死にを100%確信をもって断言することはできません。
      奇跡を否定することも、できないでしょう。


      でも、私は獣医師-「今、この瞬間を生きる」動物たちの
      生き死にを見つめ続ける職業に従事する方々には、
      「その選択」が患者にとって最善の治療だと判断される時には、
      勇気を振り絞ってご家族にお伝えいただきたい、と願ってやみません。


      本当に良心的な獣医師とは、非常に辛い進言を引き受ける覚悟と
      矜持を持ちあわせた方々だと私は思います。



      今日は、ずっと胸に秘めていたことを思い切って書かせていただきました。

      曇りなく笑う「光の子」の写真を折に触れて見つめつつ。





      最後に、2009年に参加した日本獣医臨床病理学会 年次大会の
      公開講座のハンドアウトから一部引用してお別れします。





      治癒の見込みがなく、動物にストレスが伴う延命治療の是非



      長年、絆を育んできた飼養者と罹患動物の関係性は、獣医師の
      立場からは憶測できない心の繋がりと愛情の質がそこに存在している。
      現在の臨床獣医学では治癒させることが不可能であるという
      科学的根拠に基づいて、延命治療が偏に動物の苦痛を
      継続させるだけのものと獣医師が判断する場合でも、
      一日も長く生かしたいと願望する飼養者が存在する。

      動物の治療は動物自身が望むものではなく、
      飼養する人々が望むものである。
      投薬、注射手術などの医療行為は勿論のこと、
      飼養者以外の人間が体に触れたり、保定するだけでも
      ストレスと感じるものが多くの動物の心理である。
      獣医師は飼養者の依頼に基づき診断治療を行うが、
      動物の生理的苦痛が結果として取り除くことができるのであれば、
      一時的苦痛やストレスは我慢させざるを得ないと認識している。

      動物は過去を振り返ることもしなければ、
      未来を考えていることもないであろう。
      満足か不満足か、幸か不幸か、心地良いかストレスに感じるかは
      現時点の状況を感じ取っていると思われる。
      言い換えると現時の生の質(QOL)が重要なのである。

      何としても延命させたい飼養者の感情と苦痛の中で
      生き続けさせられる動物の気持ちを推し量り、
      どちらの立場にも偏らない判断を飼養者に決断させることが
      獣医師の役割である。
      延命治療にはストレスが継続するものと疼痛が継続するものとがあり、
      これは異質である。
      動物福祉の観点から専門的に飼養者に説明をして
      理解させなければならないと考える。
      延命が疼痛を継続させるだけのものであれば、
      飼養者が望むことが如何に残酷であるかを
      納得させなければならない。

                           (横浜市獣医師会 中川 秀樹)






      今日もお読みいただき、ありがとうございました。
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