たましいにふれる
      2013 / 09 / 05 ( Thu )
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      深く悲しむ君は、深く人を愛することができる人だ。
      なぜなら、君は愛されているからだ。

      君が悲しむのは、君が想う人を愛した証拠だけれど、
      君もまた、愛されていることの証しでもある。
      悲しみとは、死者の愛を呼ぶもう一つの名前だ。

      悲しみはいつか、かならず愛に変じる。
      君のなかに生まれた愛は、
      悲しみに支えられているから「悲愛」と呼ぼう。

      君が経験しなくてはならなかった一つ一つの悲しみ、
      嘆き、絶望も、それは、君が自分と自分の大切な人に
      ささげる悲哀の種子になる。



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      ぼくらの課題、それは生きることだ。
      そして、他者と悲愛によって結ばれることだ。
      それには、ときに困難が付きまとう。

      そのときは、祈ろう。
      祈りとは、願うことではない。
      むしろ、願うことを止めて、沈黙の言葉を聞くことだ。

      死者たちは、「課題」を残していなくなるのではない。
      死者は、「課題」のなかで、君たちと共に生きる、
      ひそやかな伴奏者になる。

      死者と生きるとは、死者の思い出に閉じこもることではない。
      今を、生きることだ。
      今を生き抜いて、新しい歴史を刻むことだ。

      これからも死者は、悲愛の扉を開け、訪れる。
      君が、君自身の生を生きることを促すために、
      大きくその扉を開け放つ。

      耳を澄まそう、扉が開く音が聞こえるだろう。


                    若松英輔「魂にふれる」より

      _smile in the pasture



      やっと、この本を手にとる日が来ました。
      ずっと気になりつつ1年半が経過。


      今、ゆっくりじっくり読み進めています。





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