みえるものは みえないものに・・・・
      2012 / 06 / 05 ( Tue )
      6月1日は、17歳で旅立った柴犬みーちゃんの、はじめての月命日でした。
      「もう1カ月・・・まだ1カ月・・・。」そんな心境です。

      その日は双子犬の大ちゃんのお世話DAYでしたので、
      お線香をあげることができました。
      上品で芳しい香りがあたりにふんわり。

      ふと、近くに置かれたかわいらしい柴犬親子の陶製の置物が目に留まりました。
      母犬と、そばに寄り添う子犬2匹。
      まるで、エルザママと、おチビちゃん時代のみーちゃん&大ちゃんのよう
      思わずパシャ
      (お母さん、写真掲載を快諾いただき、ありがとうございます)
      3shiba.jpg
      (みーちゃんと大ちゃんが産まれたときに、ご近所のワン友さんが
       お祝いにプレゼントしてくださったそう



      親子で並んだ3ショット写真を眺めながら、
      (この頃は賑やかな毎日だったろうなぁ!)と、三者三様、個性あふれる
      可愛い柴親子のかつての日々を想像したり・・・。



      こういう時、つい考えてしまうのです。

      旅立った子たちは、一体どこに行ったのだろう?と。

      この世に答えを知っている人など皆無だとは知りつつも。



      そして、一つの詩をぼんやり思い出します。

      この詩は、私が愛犬を亡くし間もない頃、ある方に教えていただいたもの。

      勘も呑み込みも悪い私は当時「ハテナ???」でしたが、
      1年半経った今、(ひょっとしたら、例の「問い」のヒントがこの中に
      あるのかも?)と思うようになりました。



       すべての

           みえるものは、みえないものにさわっている

           きこえるものは、きこえないものにさわっている

           感じられるものは、感じられないものにさわっている

           おそらく、考えられるものは、
       
           考えられないものにさわっているのだろう。

                           ノヴァーリス 
             「光についての論文 2120  新断片集」より


      Alles Sichtbare haftet am Unsichtbaren,
      das Hörbare am Unhörbaren,
      das Fühlbare am Unfühlbaren:
      Vielleicht das Denkbare am Undenkbaren.

           Novalis " Neue Fragmente" 2120 Traktat vom Licht

      FH000021 (2)
      Maverick - His first appearance in E farm 2007-


      この詩で、興味深いのが原語の「haften」の意味。
      「ふれている(触れている)」と訳されていますが、
      本来の意味は、「ぴったりくっついて離れない
      そんな強い密着性を意味します。


      「すべての命は繋がっている」

      どこか、この言葉に相通ずるような気がしています。



      このことに関連して、上の詩を教えてくださった方が、
      アインシュタインのかの有名な関係式 E=mc² の驚くべき壮大さについても
      解説くださいました。

      emc2.jpg


      E=mc² は「千の風になって」が単なる願望やポエムではなく、
      宇宙の理の一つであることをひも解くキーだとも!!

      えー、理数科目がからきしダメなワタクシ、途中からアタマが追い付かず
      「ぱぷー」状態でしたが、がんばってまとめると(まとまってないけど)
      以下のような内容でした。


       【エネルギー(E) = 質量(m)×光速度(c)の 2乗】

      意味するところは、エネルギーは質量に光速(C※)の二乗
      (←気が遠くなるような莫大な値!!)をかけたものに等しい。

      ※光速(c)は、1秒間に地球を7周半回る速さ。
       その2乗ですから・・・アへ(驚)!!

      これすなわち「質量のある物体のエネルギーは、信じられないほど
      とてつもなく大きい」ということ。


      この関係式に当てはめると、わずか10gの小さな石の欠片でさえ、
      そのエネルギー値は、もんの凄いことになります!!
      いわんやヒトや動物のエネルギーたるやどれほどの莫大な
      ものになることか・・・

      言い換えれば、E(エネルギー)とは、何にでもなりうる無限の
      可能性を持つものであり、m(質量)とは、無限の可能性から
      たった一つのものに身をやつさなければ存在しないもの。
      そして両者(Eとm)のとてつもない行き来を見守る「=」。


      質量の消失はエネルギーの発生であり、エネルギーの発生は
       質量の消失を意味する。
       したがってエネルギーを転換すれば無から質量が生まれる

                          (Wikipediaより)」



      その方の見解では、消滅(肉体の死)ですべてが終わるのではなく、
      新たなエネルギーが生まれる「はじまり」であり、そのエネルギーは
      わたしたちの想像をはるかに凌駕する大きさをもち、かつ
      いかなるものにもなりうる。
      (それが、「千の風になって」で描かれることがけっしてポエムの世界
       に留まらないとする根拠)

      「いかなるもの」の中には、「あなた自身」も含まれる。
      だから、あなたの中に、亡き愛するものは「存在する」歴然と。
      あなたの犬は、あなたにその事実-「ワタシはアナタ」で
      命は不滅だということを指し示し続ける存在なのかもしれない。

      あなたが、美しいものや楽しいことに心から感動し、喜びを感じるとき、
      あなたの中に生きる愛するものもまた、共に喜ぶ。
      だから、もし愛するものを喜ばせたいなら、自分を喜ばすこと。
      できるだけ自然やたくさんの美しいものに接し、心躍らせ、感動し、
      喜ぶ体験を重ねることだよ、と。

      そして、勧めてくださった本が、海洋学者レイチェル・カーソンの
      遺作「センス・オブ・ワンダー」でした。

      IMG_7297 (2)

      鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、
      それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。
      自然がくりかえすリフレイン-夜の次に朝がきて、
      冬が去れば春になるという確かさ-のなかには、
      かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。





      おっと、終始がつかなくなりそうですので、今日はこのへんで。


      「千の風になって」に関しては、また別の機会に思うところを
      つぶやきたいと思います。


      今日は、柴さん親子の話にはじまり、宇宙の神秘(?)の話で
      終わるというなんともわけわからんちんでまとまりのない内容に
      なってしまいましたが、最後までお付き合いくださった方
      どうもありがとさんでした!!



      (おまけ)

      ちなみに今、一番気になる一冊はコチラ。
      気鋭の評論家、若松 英輔氏の著書
      「魂にふれる ~大震災と、生きている死者~」

      読売新聞のこちらの書評を見て、強く魅かれるものの、
      まだ手に取る勇気がなく未読・・・。

      魂にふれる 大震災と、生きている死者魂にふれる 大震災と、生きている死者
      若松 英輔

      トランスビュー 2012-03-06
      売り上げランキング : 7866

      Amazonで詳しく見る
      by G-Tools


      「死者が接近するとき、私たちの魂は悲しみにふるえる。

       悲しみは、死者が訪れる合図である。それは悲哀の経験だが、

       私たちに寄り添う死者の実在を知る、慰めの経験でもある」

                          (本文より)




      その時が来たら、必ず読もう。





      20 : 40 : 26 | つぶやき | page top
      | ホーム |