2017 / 10 / 03 ( Tue )
      昨日は、ベリーの7回めの命日でした。

      お散歩途中に、明るい色のお花を買って帰りました。

      実家でも、お花とオヤツのお供えをしてあげてほしいと
      家族に連絡を入れようとして、思いとどまりました。

      おそらく家族は彼の命日を忘れていることでしょう。

      それでいいのかもしれんな・・・・と思いました。

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      だいぶ昔のことになりますが、知人が私にこのようなことを言いました。

      うっかり愛犬の命日を忘れるくらいがよいのではないか?と。
      後で思い返し、あれ、今年で何年になったんだっけな??と
      わからなくなる。
      それは、必ずしも悪いことではないように思える、と。

      当時の私は初代コリーを亡くして間もなく、彼女の言わんとすることが
      理解できませんでした。


      でも10年以上経った今、なんとなくこういう意味だったのかな?と
      (見当ちがいかもしれませんが)少しおもえるようになりました。


      命日に特別な感慨を持つのは、遺された人間のみ。
      けなげに生き、潔く旅立った動物たちにとって自分の生命が終わりを
      迎えた日に何の意味があるというのか。


      毎年毎年、命日が近づくたび、
      風が金木製の香りを運んでくる時期を迎えるたび、えもいわれぬ
      沈鬱さにしずみこむくらいなら、、いっそ命日を忘れていたほうが
      本人にとっても亡き愛犬にとってもよいのかも・・・そんな考え方も
      一理あるのかもしれませんね。



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      でも、命日くらい一人静かに亡き愛犬を偲んでもよいと私は思います。

      だって、それだけの存在だったのですから・・・・。



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      ね。


      キミは若く美しいまんまだなぁ・・・・!

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