チームウィルのブログへようこそ!
      2018 / 01 / 01 ( Mon )
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          (恐れ入りますが、当日のご予約は承っておりません。)
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      『vicki』ブラウン 肉球 ブラウンmini
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      彼らはどこかにいるのだ
      2017 / 11 / 21 ( Tue )
      いや~、今朝東大をお散歩中に、さめざめ泣いてしまいまして💦

      出しなに拝見した知人のFBにて、残業を終えて深夜帰宅なさるその方を
      いつも愛犬ちゃんが寝ずに玄関でいじらしく待ってくれている、という
      微笑ましい投稿を思い出してほっこりしていました。

      次の瞬間、(そういえば・・・)と。

      ベリーも、私がどんなに遅く帰宅しても、いつも玄関前で
      待ってくれていたっけなぁ・・・・。

      両親曰く、ベリーが玄関にトコトコ向かう姿で、
      そろそろ私が帰宅するのだな、と見当をつけていたと。

      どんなに仕事でヘトヘトでも、玄関前に着いた瞬間、
      全身の疲れがふっと抜けるのを感じました。
      玄関ドアを開けると、そこに嬉しげにお耳をペタンとさせ
      私を待ち構えてくれている最愛の犬がいると、わかっていたから。

      早く帰れた日も、遅く帰宅した日も、いつもそこにはベリーがいました。
      (時折、後ろにゴンタや雪じろうを従えて待っていたことも。)


      帰宅後、パソコンルームに籠ってメールチェックする私の
      傍らでしばし寝そべり、その後私と一緒に二階の自室に引き上げるのが
      彼の平日夜のルーティーンでした。

      階段をあがる私の後ろから聞こえてくる、コトン、コトンというベリーの足音が
      ありありと思い出され、ぶわっと何かがこみ上げてきたのです。

      なんていとおしい犬だったろう。

      なんて幸せで、恵まれた日々だったのだろう・・・・!と改めて思いました。

      当時も幸せを実感していましたが、やはり特別な時間でした。
      特別な、犬でした。



      サン・テグジュペリがこう表現しています。


      「ぼくらの生活が僚友たちからぼくらを遠ざけ、
      ぼくらに彼らの上を思う余裕のある時間を与えないかもしれないが、
      しかしまた彼らはどこかにいるのだ、どこともわからない所に
      黙りこくって、忘れられて、しかしまたきわめて親密に!

      それでもしぼくらが彼らの道を横切るようなことがあると、
      彼らは炎のような喜びを見せてぼくらの肩を揺すぶってくれる!

      (中略)

      とはいうものの、やがてぼくらもすこしずつ気がついてくる、
      あの一人のあの明るい笑い声を、二度と聞く日はもうないのだと、
      あの庭園は永久にぼくらのために閉ざされてしまったのだと。
      するとこのとき、はじめてぼくらにとってまことの服喪が始まるのだ。
      それはけっして裂くような悲しみではないが、しかしどうやらほろ苦い。 」

       (アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 『人間の土地』 僚友 より
                                      /堀口大學 訳 )



      「彼らはどこかにいるのだ、どこともわからない所に
      黙りこくって、忘れられて、しかしまたきわめて親密に! 」

      上手い表現だなぁ・・・・と思いました。


      こういう時、私はついつい若松英輔さんのご著書を手に取ってしまいます。
      今朝、再読した箇所の一部をシェアして今日はおわかれです。


      「井筒(俊彦)にとって「コトバ」とは言語ではなく、
      究極的実在がこの世界に現われるときの姿である。
      それは、音であり、色、香り、律動でもあるだろう。
      「ココロ」とは、万物がそれぞれの本当の姿を知る働きである。
      死者は、私たちが発する「コトバ」を読む。
      それはときに涙であり、嘆きでもあるだろう。

      もっとも苛烈な試練に遭遇したとき、そのとき、
      そばにいて欲しいと願う人はいない。
      なぜなら、その人を喪うことが、その試練にほかならないからである、
      そう思っていた。
      だが、現実は違う。
      死者は、悲しむ生者に寄り添っている。
      死者はいつも私たちの魂を見ている。
      私たちがそれを見失うときも、死者たちは、魂にまなざしを注ぎつづける。
      ときに死者は、私たち自身よりも私たちに近い。

      死者は、ずっとあなたを思っている。
      あなたが良き人間だからではなく、ただ、あなたを思っている。
      私たちが彼らを忘れていたとしても、彼らは私たちを忘れない。
      死者は随伴者である。
      彼らは、私たちと共に苦しみ、嘆き、悲しみ、喜ぶ。
      生者を守護することは、死者の神聖なるつとめである。
      死者は感謝を求めない。
      ただ生き抜くことを望むだけだ。
      死者は、生者が死者のために生きることを望むのではなく、
      死者の力を用いてくれることを願っている。

      死者を探してはならない。
      私たちが探すのは、自分が見たいと思う方角に過ぎない。
      おそらく、そこに死者はいない。
      ただ、語ることを止め、静かに佇んでみる。
      すると、あなたを思う不可視な「隣人」の存在に気がつくだろう。

      死者を感じたいと願うなら、独りになることを避けてはならない。
      それは、私たちに訪れた沈黙という恩寵である。
      死者はいたずらに孤独を癒すことはしない。
      孤独を通じてのみ知り得る人生の実相があることを、彼らは知っている。
      死者はむしろ、その耐えがたい孤独を共に耐え抜こうとする。

      誰も自分の悲しみを理解しない、そう思ったとき、あなたの傍らにいて、
      共に悲しみ、涙するのは死者である。
      私たちは信頼し得る生者を信用するように、死者の働きを信じてよい。
      死者にとって、生者の信頼は無上の供物となり、
      死者からの信頼は、生者には慰めと感じられる。

                            (若松英輔著「魂にふれる」より)



      14 : 58 : 53 | つぶやき | page top
      オラの七五三♪
      2017 / 11 / 17 ( Fri )
      更新の滞った稚ブログを時々覗きにきてくださる方がもしいらしたら、

      す、すみません~(>_<)💦

      ダメですね・・・すっかりフェイスブックの手軽さに慣れきってしまいますた・・・_| ̄|○

      モフ男氏は、ちょいとお鼻に軽い皮膚炎をこさえた以外は、
      いたって元気にしております!!

      一昨日の11月15日は、氏神様であられる代々木八幡宮さまで
      無事七五三のご祈祷を執り行っていただくことができました✨

      いや、まさかわんこの七五三を本気で考えるとは・・・・
      自分が一番びっくりでしたね((-_-;)

      でも、来春で7歳になるモフ男くん。
      私自身、やはり7歳には格別の感慨があり・・・。

      foodpic7986103.jpg


      しかも今年の11月15日はちょうど大安!
      ダメ元で代々木八幡さまにお電話で確認してみましたら、
      一瞬驚かれましたが、対応くださった方がとてもご理解ある方で、
      遅めのお時間帯でしたらよいですよ、とお受けくださいました\(^o^)/
      あ、ありがたや・・・・(感涙)

      そして11月15日当日。

      ベニーを可愛がってくれる友達と親友くうちゃんが
      見守る中、無事ご祈祷いただき、晴れ晴れした気持ちで(私が)
      お宮さんを後にいたしました。

      ちなみに、本来ご祈祷は拝殿内で行うところ、
      私が30キロオーバーのモフ男くんを抱っこするのが無理なため、
      拝殿前にて執り行ってくださいましたm(__)m

      代々木八幡さまに感謝感謝です

      foodpic7986104.jpg

      モフ男くんはご祈祷中、私の足元に伏せておりこうさんにしてくれていましたが、
      どうやらその視線は、少し離れた所にいたくうちゃんへ注がれていた模様💦

      お祓いの際、シャランシャラン音にひゃんひゃん吠えてしまいましたが、
      ひとまずよく我慢してくれました


      foodpic7986105.jpg


      この年齢まで大きな病にかかることなく健やかに過ごすことができたことに
      感謝し、これからも引き続き御守りくださいませ・・・とお願い申し上げました。


      代々木八幡さまをはじめ、わざわざお仕事を早く切り上げ
      付き添ってくれたMちゃん、くうちゃん&ママさん。
      おかげさまで、素晴らしい七五三をしてあげることができました。
      本当にどうもありがとうございました
      お天気にも恵まれて、本当によかったです✨


      foodpic7986108.jpg

      七五三終了後、諸事情によりただちに実家へとんぼ帰りしたモフ男氏。

      まさに弾丸七五三でありました・・・。

      帰京したら、改めて代々木八幡さまにゆっくりお詣りしようね^^
      15 : 22 : 33 | その他 | page top
      盲導犬について思うこと
      2017 / 10 / 22 ( Sun )
      明日、超大型の台風が関東を直撃しそうとか・・・💦
      人的被害への懸念はもちろんのこと、冷えるこの時期
      野生の鳥や動物、放浪生活を続ける迷子動物たちは、
      うまくしのげるのかなぁ・・・と💦



      今日はここ最近気になっていたことにちょっと触れたいと思います。


      SNSをなさっている方はご存じかもしれませんが、ユーザーに体罰を加えられていた
      盲導犬の動画がSNSで拡散されて非難が集まり、提供した育成団体が当該盲導犬を
      ユーザーから引き上げ、ひとまずめでたしめでたし、と報じられた一件がつい最近
      ありました。


      えー、正直な感想を申しますと。

      本当に盲導犬をユーザーから引き揚げたのかなぁ??

      でした(-_-;)

      5555788581_8e8842c4ce_z.jpg
      [photo by smerikal]



      団体により、保護後の当該犬とされる動画が公開されましたが、本当に
      その子であるとの検証はできないわけで・・・。
      (まぁこれぞ、ゲスの勘繰りというものかもしれませんが(-"-;A ...アセアセ)

      なぜそう思ったのか。

      それは、盲導犬育成事業が「福祉事業」であるためです。

      そこにこそ、一度提供(貸与または譲渡)した盲導犬を、
      不適切な飼育管理が強く疑われるユーザーであっても、
      育成団体がその長い歴史の中で実際に完全引き上げに至った事例が
      ほぼ皆無に等しい理由があるのだろうと、協会職員さんからのお話を
      通じて理解していました。
      (※私が以前お話を伺ったのは、今回報じられた育成団体ではなく、
         日本盲導犬協会でありますが。)

      本虐待騒動に関し、全国盲導犬施設連合会(※)が声明文を発表しましたが、
      その中にも以下のとおり明記されていました。
      (※ちなみに、今回引き上げを実行したとされる団体は、こちらの
      連合会には未加盟)

      「盲導犬を適切に飼育管理できないユーザーには、
       盲導犬の貸与はいたしませんし、万一、犬に対する
       暴力行為などがあり、指導によって改善されない場合には、
       貸与後でも犬の引き上げを行います。」


      規定にも同様の内容が記載されています。

      が。

      実際には、ユーザー希望者の「動物と暮らすための資質・適性」を
      多角的に入念に検証することなく、数度の面接を経て、所定の
      共同訓練を受けた希望者にはほぼ「等しく」盲導犬を提供している実態があります。
      (※研修の過程で、提供を断るケースもある旨伺いましたが、
        それはユーザー希望者に歩行障害などが認められ、
        盲導犬との歩行がかえって双方に危険となりかねないケースの模様)


      表だっては報じにくい、視覚障碍者への福祉を優先せざえるを得ない諸々の
      事情、しがらみ、協会のジレンマがそこにあるのを感じます。


      15380674170_366aa80df0_z.jpg
      [photo by smerikal]




      物事にはすべからく明と暗の部分があるように、盲導犬育成事業も
      またしかり。
      個人的には、盲導犬育成事業の「暗」の最大の部分は、
      そもそも動物との暮らしに不適な人にも等しく盲導犬を提供
      してしまっている点にあると考えます。

      カッと激高しやすく、思い通りにならないとイライラ、うっ憤を
      盲導犬にぶつける、罵声、体罰を加える、
      協会から受けた指導に従わず、基本的なお世話すらおなざりにする等々

      なぜ、多くのヒトの善意と努力で育成した大切な盲導犬を、
      簡易な性格適性検査すら実施することなく、数度の面接だけで
      貸与してしまうのか。
      もしくは、なぜそうせざるを得ないのか。

      そこにこそ、国内における盲導犬事業の最大のジレンマ、
      問題点が存在するのではないでしょうか。

      先にも書きましたが、盲導犬事業を取り巻く実情にあまりに無知な
      私たち「部外者」の正論や感情論では到底太刀打ちできない根深い
      センシティブな問題が存在するのだろうな、と感じます。

      でもその一方で、盲導犬への体罰や、明らかに度を越した不適切な
      飼育を目にした場合は、募金する側が強く異を唱え、協会側に毅然と
      説明を求めていく姿勢はとても大切なのだと思いました。

      その積み重ねが、ひいてはより踏み込んだ慎重なユーザー査定に
      繋がることになるかもしれません。


      6060083868_4b51418347_z.jpg
      [photo by smerikal]



      現状を考えれば導入は非常に難しいでしょうが、
      個人的にはぜひユーザー希望者には性格適正検査の実施を前向きに検討いただきたいと
      切に願います。(運転免許試験の際に受けるようなアレです)

      適性検査にて、攻撃性や自己中心性、反社会性などの
      傾向が強くみられた希望者には、盲導犬のハーネスを渡さないとの
      英断を協会側が下せる環境作りに向けたサポートも必要かもしれません。
      虐待の発見・認定や引き上げが実際には難しい現状を踏まえると
      「入口」での入念なユーザーの適性判断は不可欠かと。

      アニマルウェルフェアの観点からモノ申す人々と、
      社会的弱者の福祉、権利についてモノ申す人々との狭間に立ち
      協会も諸々難しい立場にあろうことは推察されますが、
      使役動物たる盲導犬もまた庇護されるべき「弱者」の立場である以上、
      アニマルウェルフェアの観点からいっそう入念なユーザー査定の実践を
      強く望みます。

      最後に。

      一般にユーザーさんとパートナー犬は、貸与後、半年から1年かけて
      トライ&エラーを繰り返しつつ、深い愛情と信頼で結びつく相棒になるとの
      お話を職員さんから以前伺いました。
      その過程で、ユーザーさんも私たち同様、上手く指示が伝わらない時
      などは、少々イライラすることもあるかもしれません。
      体罰はもちろん言語同断ですが、あたたかい視点でペアの姿を
      見守っていけたらいいな、と思う次第です^^


      6062847692_f06bc9df8e_z.jpg
      [photo by smerikal]

      ※コメント欄を開けておきますので、本記事についてご意見がおありの方は
       どうぞコメントお入れくださいませm(__)m
       
      17 : 57 : 45 | 犬の話題 | コメント(0) | page top
      2017 / 10 / 03 ( Tue )
      昨日は、ベリーの7回めの命日でした。

      お散歩途中に、明るい色のお花を買って帰りました。

      実家でも、お花とオヤツのお供えをしてあげてほしいと
      家族に連絡を入れようとして、思いとどまりました。

      おそらく家族は彼の命日を忘れていることでしょう。

      それでいいのかもしれんな・・・・と思いました。

      foodpic5444662.jpg




      だいぶ昔のことになりますが、知人が私にこのようなことを言いました。

      うっかり愛犬の命日を忘れるくらいがよいのではないか?と。
      後で思い返し、あれ、今年で何年になったんだっけな??と
      わからなくなる。
      それは、必ずしも悪いことではないように思える、と。

      当時の私は初代コリーを亡くして間もなく、彼女の言わんとすることが
      理解できませんでした。


      でも10年以上経った今、なんとなくこういう意味だったのかな?と
      (見当ちがいかもしれませんが)少しおもえるようになりました。


      命日に特別な感慨を持つのは、遺された人間のみ。
      けなげに生き、潔く旅立った動物たちにとって自分の生命が終わりを
      迎えた日に何の意味があるというのか。


      毎年毎年、命日が近づくたび、
      風が金木製の香りを運んでくる時期を迎えるたび、えもいわれぬ
      沈鬱さにしずみこむくらいなら、、いっそ命日を忘れていたほうが
      本人にとっても亡き愛犬にとってもよいのかも・・・そんな考え方も
      一理あるのかもしれませんね。



      foodpic5420654_20171002091016a8c.jpg






      でも、命日くらい一人静かに亡き愛犬を偲んでもよいと私は思います。

      だって、それだけの存在だったのですから・・・・。



      foodpic5420656_20171002091019204.jpg
      ね。


      キミは若く美しいまんまだなぁ・・・・!

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